このホームページを一緒に作ってくれるCURIOUSのみなさんから、こんな部屋をいただいた。
「なにをかいてもいい」って言われ、「ホントにいいの!」ってもう一度聞いたら、 「もちろん!」と嬉しいお言葉。
とんでもないことを書くかもしれないけれど、ぜひお友達を誘って遊びに来てくださいね。

2017/12/26

Vol.428「生きること/表現すること」



その人は言葉を話さない。
作業所の片隅にいて、静かに手を動かしている。
手にはクーピー、
白い紙に鮮やかな赤が少しずつ広がっていく。
淀みのないペース、
迷いのない色、
手の動きと息づかいが重なり合い、
いつのまにか圧倒的な流れが紙の上に生まれている。
近づくと、きれいに刈り上げられている坊主頭がゆっくり持ち上がり、
眼鏡の奥の大きな目がまっすぐ私を見る。
彼の視線にいつも動揺する。
「ワタシニ何ノ用?」と問うている。
あるいは、「アナタハ誰?」と。
彼には何の用もないし、私が誰かもわからないので、
「少し見せてください」と彼の絵を指さす。
溶けかかった六角形のような赤の上に青が乗りかかり、静かな空のように緑がその背後に広がっている。
たった三つの色の重なりに息の詰まるような緊張感がある。
ゆっくり滲み出してくる命のようなものがある。
言葉が追いつくことはない。
「感ジテイレバイイ」
再び描き始めた彼の描く所作が彼の生きる姿勢のように思えてくる。


Little Peoples
何年も前に、彼らが初めて私の前に現れた時は3cm位だったのが、いつの間にか15cmを超えるほどに成長している。
色鉛筆で淡く軽く描かれていた身体は、クレパスで厚く深く重く塗りこめられている。
可愛い目鼻立ちがあったのが、いまは色彩に隠れて見えない。
一人ひとりが自由気ままに動いていたのがいまは一列縦隊。
図形のように直立し、隙間なく立ち尽くしている。
じっと彼らを見ていると流れた時間が立ち上がってくる。
これが成長するということなのだろうか?
あるいは、私のように老いていくということなのだろうか?
彼らを紙の上に生み出し続けているKも言葉は話さないので、私は聞きたくて仕方ないのだ。
「生キテイルトイウコトハ楽シイノデショウカ?」
Kは両手を振り、息づかいを荒くしてジャンプする。
それから小さくなってしまったクレパスで彼らを描き続ける。

*くすくすミュージアムの休館に伴い、「きょうのまねきねこ」の部屋もしばらくの間閉じることになります。
長らくのご愛読ありがとうございました。
We shall meet someday!
まねきねこ拝




2017/12/15

Vol.427「対話inフェースofワンダーの壁」



日本橋アートモールの「フェースofワンダーの壁」展が終わった。
北風の吹く寒い日々が続いたが、観客数も作品の販売数もボクには満足のいくものだった。訪れてくる人が絶えずお昼を取ることもできない日が何日もあった。
それでも新しい出会いや再会があり、作品や表現について語り合う時間は楽しかった。
暖房のかかった小さな展示室にいて襟を立てて行きかう人々を見ていると、TOKYOという時代の最先端の街にいても、通りを吹き抜ける風は子どもの頃の北風へとつながっていることを改めて感じたのも新鮮な発見だった。
変わらないものがあるという感覚、そのほっとしたやさしさのようなものに包まれていると心があたたかくなる。
それは壁に掛けられた仲間たちの作品の中にもある。
白髪で無精ひげを生やした仙人のような風貌を持つ、その人はS君の作品の前に立ち、目を細めたり、屈みこむように顔を近づけ、小さなため息をついたりしていた。
「美しい線ですよね」
ボクはおそるおそる声をかけた。
するとその人はうれしそうに目を細め
「ええ、そうなんですよ。線だけで描いてる。私も描いてるのですが、こんな風に描きたいのですよ。どうも私の絵には色や形や線、いろいろ余分なものが多すぎてね。もっともっとそぎ落としていかなくちゃいけないと思ってるけれど、それがなかなかできなくてね。この人はひたすら線だけ。迷いなく線を選んでる。それがすごいなあと思ってね」
枯れた声でゆっくり深いことをおっしゃった。
S君の作品は、粗く色を塗った10cm四方の段ボールタイルに線を重ねっていたシンプルなもの。
線はその時々のS君の気持ちのままにゆるい丘陵のようなうねりがあったり、夕方の波のような物憂い繰り返しがあったり、様々な表情をしている。
まっすぐ心にしみてくる。
しかし、それらの線は、その人が言うようにS君が色や形や描線などの中から意識して選択し表現されたものでは多分・・・ない。
S君は選択するというよりも自分の中にあふれてきたものを、そのまま腕や指先を通して紙に残していっているのだと思う。
「Sさんは言葉を話さないから、よく分からないんですが、ワタシにはそんな風に思えるんですよね。」つたない言葉で、そんなことを伝えた。
「そうなんですか?すごいなあ。私もそんな風に描ければいいのですが、まだまだだめですね」
あらためてS君の作品に見入り、腕を組み、うつむいた姿勢で何度か会場を行きつ戻りつし、「これをください。手元に置いて、しばらく見ていたいから」とおっしゃった。
あとで画廊のオーナーにその人のことを聞くと、川越で抽象画を描いている画家で、深みのある画風は銀座の画廊界隈でも高く評価されているということだった。

S君の線が今度はその仙人のような人とどんな対話をするのか考えると少し楽しい。




2017/12/08

Vol.426「小さな挑戦/フェースofワンダーの愛」



2017年の師走
この文章が掲載される頃には、ボクは日本橋のマッチ箱のように小さくてかわいい画廊アートモールの二階にいて、北風が吹き抜けていく裏通りの道を一日中眺めているだろう。
おしゃれなホリゾンブルーに塗られた明るく気持ちのいい空間。
白い壁には、小さな作品が雲のように浮かんでいる。
入口正面には、オーガフミヒロの深い青の時間にうつむく青年がボクらを見おろしている。
10㎝四方の空間に描かれた森がいくつも点在し、そこには精巧に作られた動物達がさまよっている。
壁から滲み出した色彩たちは息をひそめてお客さんの反応に瞬時に対応しようと身構えている。
銀座の6つの画廊の店主たちのお薦め作家たちのそんな作品世界の中に迷い込むとフェースの仲間たちの作品はどんな表情を浮かべるのだろう?
ドキドキ、イライラ、ビクビク・・・
いや案外、われ関せずなのかもしれない。
コンニチワ!と挨拶し、キョロキョロあたりを見回し、自分の居場所を見つけて、ツンと澄ましていたり、もしかしたら大あくびをしながら横になっていたり、うつむいて指遊びをしているかもしれない。
きっとそんな感じで12日から17日までの時間を過ごすのだろう。
ボクは二階のギャラリーにいて、お客さんを待ちながら本を読んだり、来年から始まるアートワークショップの原稿を書いたりしながら、仲間たちと作家たちのそんな対応やおしゃべりに耳を澄ませているだろう。
どんな会話をするのだろうと想像すると、少し楽しい。
聞いたこともない言葉でつぶやいたり、歌を歌ったり、リズムをとったり・・・
毛糸のようにやわらかく絡まった感触がギャラリーのちいさな空間に積みあげられていく。そんな空間で一日を過ごすのは、きっと大変だろう。
でも時間はたっぷりあるのだから、作品一人ひとりにしっかり挨拶をして回ろう。
それから彼らの言葉に耳を澄まそう。
記憶に残る言葉はしっかりメモを取り、マッチ棒で作った繊細なジャングルジムのように
丁寧にノートに積み上げていこう。
淡い灰色の影が言葉のように白いノートに刻まれていくだろう。
そこには、今では世界のどこでもほとんど見つけることができない愛の言葉が書かれているような気がする。
よろしければぜひそんな彼らの会話を聞きにアートモールまでおいでください。
まるでマッチ箱のように小さなギャラリーです。
そこには心を温める作品があなたをお待ちしています。
(YouTubeで「フェースofワンダーの壁」で検索していただくと、予告動画がご覧いただけます。)